テレビジョン=「虚像」が想像力とされた時代の作家像、作品概念を、現代の視点で分析する『虚像培養芸術論 アートとテレビジョンの想像力』。
本書では、東野芳明・磯崎新・今野勉の思考を軸にマスメディアの中の芸術家像を検証しながら、現代美術、現代思想、現代メディア論を縦横無尽に横断し、メディア芸術の歴史的な視座を編み直していきます。
今回のためし読みでは、「第8章 マスメディア空間における芸術表現と情報流通──雑誌『現代詩』を事例に」の冒頭部分を公開いたします。
第8章
マスメディア空間における芸術表現と情報流通
──雑誌『現代詩』を事例に
第2次世界大戦の敗戦後の詩、いわゆる戦後詩の動向として、以下の系譜が知られている。 『荒地』(1947年9月〜1948年6月)と『列島』(1952年3月〜1955年3月)*1。『列島』と『新日本文学』(1946年3月号〜2004年11,12月合併号)の系譜にある『現代詩』(1954年7月号〜1964年10月号)だ*2。同時期に『現代詩手帖』(1959年6月号〜)を創刊した小田久郎(1931年〜)は、当時を振り返り、『詩学』(1947年8月号〜2007年9月号)の傾向を「地方性」、『ユリイカ』(1956年10月号〜1961年2月号)は「芸術性」、『現代詩』は「思想性にウエイトをおいていた」と回顧している*3。
2020年、『現代詩』の復刻版が刊行*4。改めて同誌を再読すると、従来の意味で「思想性」とは異なる特集や作品、記事が目につく。特集では、「大衆にかける橋」1958年月号、「マス・コミは詩を誤る」1960年2月号、「CM/ラジオ/テレビ/ステージ」1961年3月号、「マスコミ芸術への公開状」1963年11月号等。作品、記事としては、茨木のり子による時評「詩劇について」1956年11月号、谷川俊太郎《放送劇 ギリシヤから来たお豆腐屋さん》1958年11月号、長谷川龍生《放送劇台本 ドキュメンタルな詩劇 ヒロシマ・1958年》1958年12月号、関根弘《録音構成 売春》1959年4月号、寺山修司「大人狩りプレヴェールおじさんに」1959年10月号、関根弘《録音構成 政治は夜つくられる》1959年11月号、川内康範「詩とマス・コミ」1959年12月号、木原孝一「放送詩集 沈黙の時──「夜と霧」の主題による」1961年6月号など。
これらはマスメディア、それも新聞などの出版文化よりも、放送文化にかかわる。従来の文学史、思想史では、背景と見なされがちなマスメディアの前景化を試み、雑誌『現代詩』にみられるシーンから戦後詩とマスメディアを再考したい。
「マス・コミュニケーション」と平和運動(1948、49年)
1950年代から1960年の安保闘争にかけて、「進歩的文化人」として、社会に影響力を持った清水幾太郎(1907年〜1988年)の著書に、『社会心理学』(岩波全書、1951年10月)がある。同書は、日本に「マス・コンミュニケーション」を紹介した、この時期の代表的書籍のひとつだ。先取りすれば、日本におけるメディア論の頂点を築く、『思想』1958年11月号の特集「マス・メディアとしてのテレビジョン」*5の巻頭論文は、清水の「テレビジョン時代」であった。吉見俊哉は、このテキストについて次のように解説する。
「テレビ誕生のメディア史的な系譜学や活字からテレビへのメディア変容が人間の感覚秩序に対して持つ意味、テレビを通じた社会的リアリティの変容、テレビを成り立たせている権力関係など、きわめて今日的な多くの論点を提起し、テレビ研究が何をなすべきかを明快に示している。この当時の清水の現代社会に向けられた透徹した視線とシャープな文章は、半世紀近い歳月を経てもまったく古びていない」*6と。
清水が、「進歩的文化人」として語ってきた主要な議論のひとつにメディア論があった。自身は、「マス・コミュニケーション」「マス・メディア」を論じるようになった契機を、次のように回想している。
「現在は、「マスコミ」という略語まであるが、当時は、「マス・コミュニケーション」という言葉自身、何のことか判らなかった。例のユネスコ声明の12項目のうちの(F)に、……these means of mass communicationという箇所があって、この声明の翻訳に当たった中野好夫は、あれこれと工夫した末、「これらの大量的通信手段」と訳した。同じ頃であったか、加藤周一氏は、サルトルの『文学とは何か』に出て来るmass mediaという英語を「中間大衆」と訳していた。そういう時代であった」*7。
「例のユネスコ声明」とは、1948年7月にパリのユネスコから発表された「A Statement by eight distinguished social scientists on the causes of tensions which make for war」を指し、「平和のために社会科学者はかく訴える──ユネスコを通じての声明」として紹介される*8。岩波書店は、この声明をうけ、10月に「ユネスコの会」をつくり、その討議に関して『世界』1949年3月号で「平和問題特集」を組む。清水は、同号に「平和問題談話会」の会員として「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」を起草する。
「進歩的文化人」が担ってきた平和運動と、「マス・コミュニケーション」「マス・メディア」が不可分なものとして認識されていたことが確認できる。
注
1──坪井秀人「『荒地』と『列島』 戦後詩の十年」『声の祝祭』名古屋大学出版会、1997年8月。
2──加藤邦彦「新日本文学会と「現代詩」」『現代詩 復刻版』別冊、三人社、2020年4月。
3──小田久郎『戦後詩壇私史』新潮社、1995年2月、137頁。
4──『現代詩 復刻版』三人社、2018年11月〜2020年4月。
5──吉見俊哉はこの特集について以下のように評価する。「日本でテレビ放送が開始されて僅かに5年しか経ていない時期にもかかわらず、その質と密度においてその後のテレビ研究の大枠を予告し、日本のテレビ研究の出発点を高らかに宣言した特筆すべき特集号で、その後のテレビ研究に大きな影響を与えていった。ここに集められた諸論文を一見すると、テレビと政治、受け手の生活や番組受容、娯楽ないしは芸術としてのテレビ、放送局の機構と経営、テレビと映画、印刷の比較論など、その後のテレビ研究の主要な研究フィールドがほとんど網羅されている」。「テレビジョン時代 解題」(『思想』2003年12月号、7頁)より。
6──同、8頁。
7──清水幾太郎『わが人生の断片(下)』文春文庫、1985年10月、115頁。
8──『世界』1949年1月号、16〜20頁。ここには翻訳者とされる中野の名前は掲載されていない。
(この続きは、本編でお楽しみ下さい)
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