第10章 キャラクターの問題を解決する
作り手が行き詰まるとキャラクターも行き詰まります。アイデアが浮かばない時もあるでしょう。キャラクターが何を求め、どんな人で何をしているかといった基本的なクエスチョンを考えても、何も展開が思い浮かばない。「困ったな、どうしよう」と頭を抱える人もいれば、「こんなことはよくあるさ」と達観する人もいます。
このような時は、単に作業をし過ぎていて、疲労のために思考力が鈍くなっているだけかもしれません。
キャラクターに問題があれば、リサーチ不足が原因かもしれません。文脈が漠然としていれば、何も思い浮かばないのも当然です。
創作のことばかりしていて、生活がおろそかになっていないでしょうか? 「自分の生活も充実させなくてはね。内にこもって書くだけじゃなく、外の世界にきちんと触れておくべきだ。周囲の出来事を味わわないと真の実力は出せないよ」と脚本家のカール・ソーターは言っています。
どんなクリエイターもキャラクターについて悩みます。その問題点と解決策を、カテゴリー別に見ていきましょう。
キャラクターが好きになれない
小説『アメリカのありふれた朝』の作者ジュディス・ゲストは登場人物ベスが理解できませんでした。「プロットの面では困らなかったのです。でも、『ベスが嫌い』という読者がとても多かった。私には、嫌われるキャラクターを書く意図はありませんでしたから、作者としては失敗ですね。ただ、私自身もベスが嫌いだったのだと思います。そもそも、彼女の息子コンラッドが心を病むのはベスのせいだと思っていましたから。それが、小説を書き進めていくうちに状況の複雑さがわかってきて、彼女を責める気持ちは薄れていきました。作者としてベスの内面に入ろうとしなかったのは、私が彼女のことをほとんど理解できていないのがバレるのを恐れたからです。それを作家仲間のレベッカ・ヒルに打ち明けると、『あなたが彼女を嫌っているから、彼女が胸の内を明かしてくれないんじゃないかしら』と言われました。
自分で自分を嫌う部分があると、同じものをもつキャラクターが理解できない時があります。自分の中で、そうした部分につながると、キャラクターともつながれるのでしょうね。残酷さや愚かさ、頑固さは誰の中にもあるでしょう。それを直そうとしたり、抑えようとしたり、否定したりしていると、誰かがその嫌な面を表に出した時に腹が立つのです。自分の嫌な部分を受け入れて愛するべきですね。それも自分の一部ですから」
監督で脚本家のロバート・ベントンはこう語ります。「書かなきゃいけないキャラクターだとわかっていながら、嫌いだから書けなくて、別のキャラクターを作った時があるよ。あるいは、書いたはいいが、書くべきではなかったと後で思うキャラクターもいた。全然うまくいかないんだ」
あなたの深層心理に隠れたシャドウを映し出すキャラクターは好きになれないかもしれません。自分の心理を見つめ、受け入れることにより、ネガティブに思えるキャラクターを書く力が伸びるでしょう。
キャラクターが理解できない
キャラクターが理解できない時もあります。いくら頑張ってもキャラクターがするりと逃げてしまうような気がする時に、脚本家で監督のフランク・ピアソンは脚本にないシーンを書いてみることを勧めています。「キャラクター自身のことや、他の人物たちとの関わり方を、もう少し知る必要があるのだろう。(中略)1つの方法として、脚本とはまったく関係ないシチュエーションを想像してみるといい。たとえば、キャラクターたちが昼食を注文して食べようとしたら、1人がクレームをつけて、調理し直してこいと要求する。他のキャラクターたちはかなり恥ずかしいと感じる。そこから何が起きるだろうか。互いにどう話すだろうか。どんなふうに言い争い、ケンカをするか。雨の日にサンタモニカのフリーウェイでタイヤがパンクしたら、どうするか? 深夜にデトロイトで100ドル札を出してお釣りをもらう時はどうするか? こういうシーンを書いてみると、キャラクターについて意外なことがわかる*1」
キャラクターが曖昧である
キャラクターにも個性があり、こまかい特徴があります。その部分の設定がおおざっぱで曖昧な時に問題が起きることもあります。
ロバート・ベントンはこう述べています。「注意していないと、うっかり、個性をきちんと出さずに人物を描いている時があるよ。単にプロットを進めるだけで。いいキャラクターはプロットを乗りこなすだけの力がある。プロットのための道具でもなく、作者の主張を伝える道具でもないんだ。僕が時々やってしまうのは、キャラクターの一貫性ばかり気にして、キャラクターに自分自身に対する思いを語らせ、それが抽象的になってしまうこと。そんな時はキャラクターを脇に置き、一から考え直す。知人を思い出してモデルにすることが一番多い。よく知っている人に重ねてみると、何かに気づくんだ。でも、他の映画のキャラクターが元になっていると難しいね。『リオ・ブラボー』(1959年)のジョン・ウェインのキャラクターのイメージで書こうとしても、うまくいかない。何度も試してみたけれどね。実生活でよく知っている人が一番いい。何度も使わせてもらっている人たちもいるよ──彼らのいろいろな面を。僕の妻は多くの脚本で20通りぐらいに使った。
『クレイマー、クレイマー』(1979年)の脚本と監督を担当した時は、ダスティン・ホフマンから多くを学んだよ。あらゆるキャラクターは、あらゆる瞬間において具体的でなくてはいけない。制作中は本当にいろいろなことに気づいた。具体性が不要な瞬間などないんだ。具体的で正確であるべきだよ」
商業的な問題
米国のプロデューサーや俳優はポジティブで共感できるキャラクターを好む傾向があり、それがキャラクターの問題を誘発する場合もあります。設定を充実させて魅力も出せているものの、ネガティブなキャラクターなら商業的な見込みが低いとみなされてしまいます。
脚本家のカート・リュードックはこう言っています。「今、書いているキャラクターに困っているよ。脚本家として行き詰まっているわけじゃないんだ。人物のことはよくわかっている。知り過ぎているぐらいだよ。ただ、商業映画のヒーロー像に当てはまらない。それを心配しなくていいなら、面白いことができるんだけどね。だが、5,000万人の観客を動員できるか考えるのも僕の仕事だから」
このような場合はキャラクター設定を考え直すか、ポジティブな性質を付け足してバランスをとる必要があるでしょう。
脇役の問題
脇役が主役よりも目立ってしまった場合、書き手にとって2つの視点からの対処法があります。劇作家のデール・ワッサーマンはこう述べています。「困ってしまうね。脇役が主役を食ってしまうなら、ストーリーのアイデアか構成が間違っている。最初にきちんと考えていなかったということだ。よくあることだよ。ストーリーを作ろうとして過剰に企んでしまっているんだ。その過程でキャラクターどうしのバランスが崩れ、ストーリーの中での配分がおかしくなった」
これが有利にはたらく時もあります。ロバート・ベントンはこう言います。「『プレイス・イン・ザ・ハート』はエドナ・スポールディングがストーリーの中心になっていった。元々はテキサスの酒類密造人の物語だったが、脇役のエドナが他を凌駕した。こういう時は、書いていて一番嬉しい。逆に、書いていて嫌になるのは、登場人物を引っぱっていかなきゃならない時だ。つまり、何かが間違っている時だよ。登場人物が主導権を握ってくれることがストーリーにとって最善の時がある」
キャラクターがあまりにも従順な時もあります。キャラクターとのダイナミックな関係を展開して語らせるのでなく、操り人形を扱っているような場合です。
作家のシェリー・ローエンコフは「新人のライターは人物について考えるのをいったん休み、ストーリーを広げることも必要です。登場人物が自然に緊張やサスペンスを感じるには、それが不可欠です」と言っています。
*1 Frank Pierson, “Giving Your Script Rhythm and Tempo,” The Hollywood Scriptwriter, September 1986, p. 4.
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