はじめに
「どうすれば演技が上手くなりますか?」
「どこか所属できそうな芸能事務所を紹介してもらえませんか?」
「オーディションに合格できる方法を教えてください」
「撮影現場に呼ばれたのですが何をすればいいか分からず不安です」
若い俳優の皆さんから、そんな相談をよく受けます。「一度自分で考えてごらん」という言葉が出かかりますが、彼らの迷いがわからないでもないのです。なぜなら俳優として習得すべき技術やそれを学ぶための体系だったカリキュラムや、芸能の仕事に就きたい人なら必ず勉強しておかなければならない業界の仕組みやルールなどを教えてくれる学校や本が、現在の日本には存在していないからです。
そのため、日本で俳優を目指す人たちの大半は右も左も分からないまま、なんとなく東京に出てきたり、とりあえず巷の芸能事務所に登録してみたりと、本来真っ先に取り組むべきことを疎かにしたまま、無為な時間を過ごすばかりです。
「俳優の仕事は人に教わるものではない」という先人もたくさんいます。しかし、本当にそうでしょうか? 世界レベルの俳優を多く輩出している欧米諸国やアジアトップクラスの韓国や中国では、数多くの演技を教える学校や施設があり、若者たちはそこで専門的な訓練を受け、プロの俳優として映像や演劇の世界に飛び出していきます。彼らは理論と実践に裏打ちされた演技力を長い訓練と弛まぬ努力の中で培ってきたからこそ、映画や演劇などのジャンルや、国籍を問わず、俳優という仕事に誇りを持って活動し続けることができるのです。
対して、日本の俳優は演技技術や訓練よりも、持って生まれた能力や感性、運といった形のないものにすがる傾向があります。さらに都合のいいことに、自分の中に埋もれている根拠のない可能性を、いつの日か誰かが見つけて引き出してくれると本気で思い込んでいたりします。確かに表現を伴う俳優という仕事には、豊かな感性が求められます。しかし、その大部分は相応の訓練を積み重ねた結果として醸成され、研ぎ澄まされていくものだと私は思います。
2016年のリオ五輪で日本は過去最高の41個のメダルを獲得しました。半世紀前の日本では考えられないことです。世界で戦うには選手の感性と根性だけでは限界と判断した日本スポーツ界は、理論と実践に裏打ちされた身体科学の研究や戦術の強化に力を注いできました。今回の五輪はその蓄積された知識や技術の習得に、選手・コーチが一丸となって取り組んできた成果だと言っても過言ではないと思います。
スポーツと芸能は違いますが、どちらも高度な技術が必要とされる世界であることは間違いありません。俳優とは技術職です。私はいろいろな場所でそう言い続けています。技術職だからこそ、俳優を本気で仕事にしたい人たちには、業界や映画に関する正しい知識を教え、演者としての技術を磨き続けていける環境を用意してあげる必要があると考えています。
そんな思いから、私は映画をつくる一方で、映画に強い俳優を育てる学校を10年前に、映画監督たちと始めました。学校と言っても小規模なものですが日本のトップクラス、そして世界で勝負できる俳優を輩出できるカリキュラムだと自負しています。
その授業内容を少しでも多くの人に実感してもらいたいと思い、映画監督それぞれの俳優に対するアプローチや芝居に対する考え方を1冊にまとめたのが前作『俳優の演技訓練 映画監督は現場で何を教えるか』(2013年、フィルムアート社)でした。
本の出版後、特に若い俳優や俳優志望者たち、子役の親御さんから大きな反響がありました。やはり今の日本では、世界で戦える俳優を鍛えられる人材と場所が圧倒的に足りないのだと再確認させられました。
一方で、まだ演技経験の浅い俳優たちからは、1冊の本のなかで、監督たちの指導内容が多岐にわたっているので、高度な解釈や経験がないと混乱してしまうという声も多く寄せられました。まだ俳優としての基盤がない彼らにとっては、監督個々の演技理論よりも、もっと手前の段階にある俳優としての基礎スキルの習得が必要ではないか? そんな反省から、今度はよりわかりやすく、俳優たちがすぐに行動に移せるような内容に特化した本を作りたいと思い、前作を担当した同じ編集者とともに、再び本の執筆を始めました。
この本の内容を最初に説明しておきます。
PART1では、大前提として、俳優も「ものづくり」の一員であるという意識をしっかりと持っていただくための章です。私が若い俳優たちによく話す例えなのですが、プロ野球のチーム運営に関わる人は、プレイヤーでなくとも野球のルールや各々の役割分担について当然のごとくよく知っています。映画づくりも同じです。プロの映画人は本来映画の知識や制作工程を誰よりもわかっていないとダメなのですが、プレイヤーである俳優自身が一番あいまいだったりします。撮影過程の一部にしか呼ばれない実状からするとそうなってしまうのも仕方がないのかもしれませんが、だからこそ勉強で補って、自信を持って現場に立てるようになってほしいと思います。そこで、PART1では、映画の現場を例に挙げ、映画の企画が立ち上がってから公開に至るまでの流れの中で、各部署の役割や、俳優がどう関わっていくのかを詳しく説明しています。映画制作に特化して書いていますが、テレビや舞台の現場でも当てはまることだと心に留めておいてください。
PART2では、脚本の読解術について、具体例とともに解説しています。脚本はそれぞれ違った技術を持つ職人たちが唯一共有できる「映像・映画の設計図」です。あえて厳しい言い方をしますが、この設計図を正しく読み解ける力量が備わっていないうちから撮影の現場に参加すれば、まわりのスタッフに迷惑をかけてしまいます。ですから本気で俳優を職業にしたいのであれば、脚本を読み解く技術を習得することが欠かせないのです。
PART3では、「映画を見ること」から俳優が学べるたくさんのポイントを挙げていきます。「野球を知らないのに野球選手になろうとしている人」と同じ状態にいる今の俳優たちに向けて、映画に出たいのならまずは映画を見て知識を養うことを勧めています。とはいえ、世の中には俳優の参考になる映画ばかりが公開されているわけではないので、どんな映画をどう見るべきなのか、俳優志望者ならどのように見ればよいのかについても、解説します。
PART4では、この本のなかで最もボリュームを割いて、皆さんが一番気になるオーディションについて書いています。プロデューサーの視点から、オーディションでは俳優の何を見極めようとしているかを説明していきます。演技の基礎がある俳優がどれだけ現場に求められているか、そして付け焼刃のオーディション対策がいかに無効なのかも、実感してもらえると思います。
最後に、PART5では「俳優力を引き上げる8つのアドバイス」として、この本で書かれている俳優の心がけをまとめました。総論として、ぜひ、何度も読み返していただきたい章です。
これだけの内容を書くために、前作から3年もの長い時間が空いてしまいました。しかし、日本の俳優やこれから俳優を目指す人への道を示す「教科書」として、かなり濃密なものになったと自負しています。
本書の内容に入っていく前に、私の実感を記しておきます。
私はこれまで映画プロデューサーとして、数々の俳優オーディションを見てきました。そこで驚かされたのは、若い俳優たちの感性の鈍さ、知識の少なさです。彼ら、彼女らが人間的な魅力に欠けているのかというとそうではなく、むしろ現場に行くと礼儀正しく振る舞える人たちです。しかし、それは現場で邪魔にならないために存在を消しているだけであり、俳優に求められている仕事を果たせているとは言えません。ただ自分の出番をじっと待って、一言二言の台詞を口にして帰っていくだけの存在です。「思考停止」、そんな言葉が頭をよぎります。
俳優は他の職業に比べて圧倒的に待つ時間が長い特殊な職業です。現場でもそうですが、そもそも役が決まらないことには家で待っているしかないのが俳優職なのです。そのため、膨大な待ち時間をどう使うかが、俳優の人生を左右します。
この本で書かれていることは、すぐにでも実践に移せることばかりです。待ち時間の質を高め、人生のカレンダーの中で、演技訓練に使う割合を大きくしてください。ライバルたちと、どうすれば差を広げられるか、常に考え、実行し続けるのです。それは芸能事務所に所属しなくても、地方在住のままでも十分に可能なはずです。
日本の俳優のレベルは確かにあまり高くありません。だからこそ、本来俳優に求められている最低限の技術が備わっているだけで飛びぬけた存在になることができます。年間に何本も主演作があるスター俳優になるのは難しくても、俳優の仕事で生活できるようになるのは険しい道ではないでしょう。これから俳優を目指す人にとってはむしろ、今はチャンスが転がっている時代なのです。
それでは、人に夢と勇気と与えてくれる素晴らしい職業、俳優の世界へようこそ。本書が俳優を目指す人々の新たなスタートラインになるように願っています。
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